2010年10月28日

社会のノウハウ化

どうにも、ここ数年気になるというか、気に入らないことがある。
それは、「社会のノウハウ化」という現象。

いつ頃からだろう、ノウハウだけが先行して、その根底にある思想なり価値観が蔑ろにされているのは。
それは、仕事してても感じるし、昔なら勉強してても多少は思うところがあったけれど、最近は世間全体的に、加速度的にひどくなっている印象を受ける。

ノウハウは、言うまでもなく大事だ。
だけれど、ノウハウだけに終始するならば、極論を言えば「人間」の介在する必要はどこにもなく、「機械」にすべてを委ねてしまえば解決と言う、安物のSFみたいな話になってくる。

グローバリゼーション=ノウハウ化(マニュアル化)だという意見もある。
しかし、それは本当ではないと思う。
世界を見渡せば、セレブと呼ばれる人種や、第一線で活躍している人種は、決してマニュアル人間などではないし、むしろその逆だと見ることが出来る。
グローバリゼーションでノウハウ化(マニュアル化)した人間は誰か。
それは、ルーチンワークだけを求められるような単純労働者だ。

たまに勘違いがあるけれど、グローバリゼーションは差別をなくす仕組みなどでは決してない。
むしろ、差別(格差)を助長するシステムとして、最大限に機能している。
ここに気付かないならば、いよいよ危険な土を踏んでしまっているのかもしれない。

もう一度言う。
ノウハウは確かに大事だ。
だけれども、それよりも大事なものに、いつしか僕たちは目を向けなくなっているのではないだろうか。
僕自身、ここに答えは見いだせていないから、あまり偉そうなことは言えないんだろう。
それでも、「ノウハウ化社会」は、かなりの確率で、崩壊の序曲を奏でているような気がしてならないのだ。耳触りの良い音色を流しながら、裏では落とし穴を掘っているのかもしれない。
posted by 小浜二郎 at 03:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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